歴史の概観
小川町域は中世(鎌倉・室町・戦国)の時代から人びとが往来する道筋にありました。
鎌倉と上州・信州を結ぶ鎌倉街道上道が町域を貫通しており、奈良梨はその中心でした。本来は軍馬が行き交う軍用道路として整備されたものですが、人びとの交流や物資の輸送にも重要な役割をはたしました。仙覚律師もこの道をたどって草深いこの地につき、『万葉集註釈』を完成させたと思われます。また高見が原の合戦などの戦場となり、さらに国指定史跡となった「下里・青山板碑製作遺跡」からきり出された緑泥石片岩(下里石)で作られた板碑が町域に1000基以上現存しますが全てこの時代のものです。
江戸時代には賑わう町場が誕生し活況を呈します。外秩父の山裾を南北に八王子と上州を結ぶ八王子街道が、川越秩父道と町場の中心で交わる交通の要衝となった小川村は、人と物資の集散地となり「民家が軒を連ね」、一と六の日には市が立ち賑わいました。
山間地が多く耕作地の少ないこの地域には副業が発達し紙漉き・養蚕・絹織物・素麺・酒造などが盛んとなりその製品が市で売買されました。
また江戸から秩父への最短距離であったため秩父巡礼や三峯山参拝で文人墨客の来遊も多く道中日記や旅行記等に作品をみることができます。
明治以降の近代に入ると、明治22(1889)年に小川町・大河村・竹沢村・八和田村の1町3村が成立し、昭和30(1955)年にこの1町3村が合併して現在の小川町が誕生しました。